"私の財産告白"の読書記 著者:本多 静六
「私の財産告白」を読んだので、気になった箇所を引用形式で記録します。
財産を作るために必要なこと
勤倹貯蓄
これなしには、どんなに小さくとも、財産と名のつくほどのものはこしらえられない。
勤労生活者が財産を作るために必要なこと
単なる消費面の節約といった消極的策ばかりでは十分ではない。本職に差し支えない限り、否本職のたしになり、勉強になる事柄を選んで、本職以外のアルバイトにつとめることである。
投資への考え方
投資戦に必ず勝利を収めようと思う人は、何時も、静かに景気の循環を洞察して、好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時機を逸せず巧みに繰り返すよう私はおすすめする。
金儲けは理屈でなくて、実際である。計画でなくて、努力である。予算でなくて、結果である。その秘伝はとなると、やっぱり根本的な心構えの問題となる。
子供の教育について
子孫を本当に幸福ならしめるには、その子孫を努力しやすいように教育し、早くから努力の習慣を与え、かつできるだけ努力の必要な境遇に立たしめることである
金の考え方
金を馬鹿にする者は、金に馬鹿にされる。これが、世の中のいつわらぬ実情である。
財産を無視する者は、財産権を認める社会に無視される。これが、世の中のいつわらぬ現実である。
金の使い方について
吝嗇は当然出すべきものを出さず、義理人情を欠いてまでも欲張ることで、節倹とは似て非なるもはなはだしい。節倹は出すべきものをチャンと出し、義理人情も立派に尽くすが、ただ自分に対してだけは、足るを知り、分に案じ、一切の無駄を排して自己を抑制する生活を指すのである。
成功を焦ってはならない
いたずらに成功を焦ったり、堅実を欠くに至った人たちが失敗に帰しているのである。だから、少しばかり金ができても、早く金持ちになろうとか、急に財産を殖やそうと焦るのは、たとえ一時の小成功を収めることはあっても、必ず最後はつまずきを招くものであるから、何人もよくよく注意しなければならない。
人間的サラリーマン訓
いかなる場合、いかなる職務でも、自分自身にその実力さえあれば、与えられた当然の地位は毅然と引き受けるべし
人を使うには・人に使われるには
「使うには使われろ」という言葉が昔からある。これは、人を上手に使うには、自分自身がまず使われる体験を持たねばならぬという意味と、また使う者は使われる者の身になって全て考えよという二つが含まれているようである。
人を使う者は人に使われる、人を監督する者は人に監督される。これはどうやら、間違いのないことのようである。
平凡人の成功法
「仕事に追われないで、仕事を追う」ことである。つまり天才が一時間かかってやるところを、二時間やって追いつき、三時間やって追い越すことである。
いつでもその地位なり椅子なりに坐れるだけの、勉強をつづけ、実力を養成しておくことは、後進者の義務であり、権利であり、また職業道楽化の卑近な一目標ともいえるではないか。
要するに、平凡人はいついかなる場合も本業第一たるべきこと。本業専一たるべきこと。一つのことに全力を集中して押し進むべきこと。これが平凡人にして、非凡人にも負けず、天才にも負けずそれらに伍してよく成功を勝ち得る唯一の道である。
あとがき
本多静六と言う人が人生で行なった勝負は、その「誰もが勝てるが、ほとんどの人がしない」勝負だった。
本多 静六の考え方は、現実的なもので共感がわくようなものでした。
努力の大切さを説くのがこの人の特徴でしょう。
読んでいただきありがとうございます。